弁護士連合

アーティクルアーティクル

政治圧力は裁判に影響を与えるのか

政治圧力は裁判に影響を与えるのか

著者 / 水野太樹

April 06,2023

1 はじめに
 「政治圧力は裁判に影響を与えるのか」という疑問に対して,多くの法曹実務家は「日本ではそんなことはほとんどないのではない」と思いつつも,例えば原発訴訟で国を敗訴させるとその裁判官は異動させられる,というような噂話は耳にします。
 実際はどうなのかについて,明確な結論を出すことはデータが揃わず難しいところですが,仮説を提案することは可能かもしれません。
 以下,検討してみます。

2 平賀書簡事件
 「政治圧力が裁判に影響を与える」というのは,つまり「司法権の独立」という憲法原則に対して,政府が侵害を加えている,という見方ができます。ここでいう「司法権の独立」に対する侵害という意味では,「平賀書簡事件」が有名でしょう。
 大まかにいうと,長沼ナイキ訴訟という,自衛隊の合憲性が問題とされた事件が札幌地方裁判所に係属中に,担当の福島重雄裁判官に対して,当時の札幌地方裁判所所長である平賀健太裁判官が,国側の主張に沿った判断を下すように指導した上で,福島裁判官がこれに従わないと知り,今度は手紙を送り,判断を覆すことを促したという事件です*1。
 この事件は1969年に起きた事件で,もはや「歴史上の出来事」となっており,さすがにここまであからさまな出来事は現在では行われていないと思われます。ただ、ある種の政治的圧力が司法判断に影響を及ぼそうとした事例が存在しているということは言えそうです。

3 行政訴訟で国を敗訴させると左遷させられるのか
 では、歴史上の事件、ではなく、現在まさに生じていることとして、「行政訴訟で国を敗訴させると裁判官は左遷させられる」という噂はどうでしょうか。
 これについては、実際にデータをとって検証してくれた人がいます*2。詳細は当該論稿に譲るとして(興味深い内容なので一読をお勧めします),結論としては,「・事件の処理方法や判決が人事に影響する可能性はある ・国を敗訴させ続けると,冷遇される可能性は高くなる ・必ず冷遇されるわけではなく,エリートコースを歩み続ける裁判官も少なくない ・国敗訴が人事に影響あるのかどうか,わからないことがわかった」と締めくくられています。
 要するに,一般的に「国を敗訴させると左遷される」というデータはとれなかったということになります。
 しかし,ここで個人的に重要だと思うのは,論稿内で紹介されている木谷明元裁判官や,瀬木比呂志元裁判官などが,嫌がらせ的な人事はある,と回答しており,また,裁判官の一般的な認識としてそういったことはあると思われる点です。

4 裁判官の頭の中
 上記で指摘した,私が重要だと考える点について,その理由を説明する前に,裁判官が判決を書く際にどのような思考過程をたどっているのかについて説明します。
 一般に「法的三段論法」と言われる論証作法が存在します。要は,「法律」(大前提)に,「事実」(小前提)をあてはめて,「結論」に至るという論証の順序であり,判決文は基本的にこの構造を前提としていると言って良いと思いますし,法曹実務家も当然にこの順序を把握して書面を作成します。
 しかし,実際に裁判官が結論に至る思考過程が,上記の法的三段論法にしたがった思考過程なのかといえば,そんなことはないようです。
 この点について論じたものとして,土屋文明元裁判官による「民事裁判過程論」(有斐閣,2015年)という論稿があります(全編にわたり,非常に興味深い内容なので,法曹実務家は是非一読をおすすめします)。その中で「民事裁判では,裁判官は,多くの場合,主張の内容や,重要な証拠等に照らして,ある程度,今後の見通しについての一応の仮説をたてて審理にのぞんでいるといってよい」(同書37頁),「最終的には,両当事者を前にして,距離をおいて,法的な立場であくまでも公平な判断を下し,公正な賠償を命じなければならないのである」(同書59頁),「一般的にいって,不法行為の事件では,前述のように,厳密な法律の解釈で勝敗が決まる,というよりも,前述の「瑕疵」の判断枠組みに従いつつ,その判断―すなわち,認定事実をもとに,被告に責任を負わせた方が妥当か,というバランス感覚―によって結論が出るのである。その際に,よりどころとなるのは,「社会通念」に支えられた公平感覚とでもいうものである」(同書63頁)という興味深い指摘がなされています。
 慎重な言い回しがなされていますが,私の主観も交えていえば,要するに事件の全体的なストーリーを把握した後は,裁判官の「公平感覚」に基づき,どちらを救済すべきか,という結論を仮に導き出し,その後,当該結論を法的に正当化できるか,という思考過程を辿っているものと考えられます。
 これが正しいとすると,裁判官の「公平感覚」というものが非常に重要な意義を有していることになります。
 しかし,この「公平感覚」というものは,いったいどういうものなのか,未だ言語化されていないと言わざるを得ません。

5 心理学実験の紹介
 さて,ここまでの記述を前提にしつつ,さらに,昨今研究が進んでいる行動経済学,社会心理学,認知心理学,神経経済学といった人間の心理的側面に関する研究結果から,いろいろなことが判明してきています。
 面白い(といっていいのかわかりませんが)研究として,裁判官の判断がどういった事情に影響されているのかを調べたものがあり,一日の始まりと昼食後には,昼食直前よりも寛大な判断を下す傾向がある,週末に地元のフットボールチームが負けた場合,月曜日の判決は厳しくなる,黒人の被告人は,ひいきのチームが負けて不機嫌な裁判官のとばっちりを受けやすい,被告人は誕生日には寛大な判決を受けやすい,暑い日に難民認定を受けられる可能性は低い,など,事案とは無関係な事情が裁判官の判断に影響を与えているという結果が多々示されています*3。これらは,海外の研究結果であり,日本とは文化的傾向や訴訟制度そのものが異なるために,そのまま当てはまるとは思えませんが,かといって,同じ人間である以上,裁判官の判断に,事件とは全く無関係な要素が影響するという事実は否定できないと思います。

6 裁判官は無意識的な影響を受けているのではないか
 さて,ここまで論じた内容を前提にすると,①裁判官の判断には「公平感覚」という言語化されていないいわば直観的な判断が取り込まれている,②たとえ裁判官であっても,判断に際して「事件とは全く無関係な要素」の影響を受けている(なお,これらはいわゆる「認知バイアス」に属する事情であるため,錯視現象と同様に意識しても取り除くことは不可能と考えられています),ということが言えます。
 さて,ここに,「裁判官自身は,国を敗訴させると左遷される」「嫌がらせ人事は存在する」と(真実かどうかはさておき)思っているとすると,どういうことが起きるでしょうか。これらの認識が,無意識下でその判断,すなわち「公平感覚」に影響していることは考えられないでしょうか。
 少なくとも,裁判官が嫌がらせ人事の可能性や,左遷のリスクを,少しでも信じている限り,これらの影響をなくすことは不可能なのではないかと考えられます。
 かくして,「政治圧力は裁判に影響を与えるのか」という疑問に対しての回答として,明示的には与えていないように見えるであろうが,個々の裁判官の意思決定に対するバイアスとしての影響は与えることになる,という一つの回答を導くことができるのではないかと思います。
 これはあくまで仮説ですが,いずれ統計的データをとって検証する価値のある仮説ではないかと考えています。

7 まとめ
 以上,個人的な感想を踏まえつつ,仮設ではありますが,表題に対しての回答を導き出してみました。
 このような無意識下の影響が存在しているということからも「司法権の独立」という憲法原則が,いかに重要なものであるのか理解できるのではないでしょうか。
 今後,どういった事情が裁判官の判断に影響するのか,より詳細な研究がなされることを期待しています。
以上

1.なお,この事件は国会の裁判官訴追委員会が,書簡を送った側である平賀裁判官を不訴追としたのに対して,受け取った福島裁判官の「書簡の公表」について訴追猶予の決定をしており,侵害された側が重い処分を下されるという不合理な結末を迎えている(浦部法穂「憲法学教室〔第3版〕」p356,辻村みよ子「憲法[第7版]」p438など参照)。
2.木野龍逸「不思議な裁判官人事」(https://note.com/slownewsjp/m/mb47d19ab0a0a
3.ダニエル・カーネマン他「NOISE(上)」(28頁)